殿様千石たこ道中小説


三匹が斬る!外伝 第五幕


 「いやあ、登るのに丁度いい木がなかなか見つからなくてね」 自分が投げた風車を拾い上げ、息を吹きかけてクルクル回すと、 陣内はいつもと同じ口調でそう言った。 「タコ、お前は今回のことについてどこまで知っている?」 すっかり平四郎との命のやりとりを続ける気の失せた千石が尋ねた。 陣内が事情を知らない場合、事の成り行きを説明しようと思ったからである。 だが、 「うーん、そうだね…。  これから二十日後に、八丈島でメリケンの闇商人が阿片の取引をすることぐらい、かな」 予想だにしなかった答えに、その場にいた日本語の分かる全ての者は顔を強張らせた。 「陣内!」 眉間に深く皺を刻んだ平四郎が声を荒げた。 その様子から、陣内が持ってきた情報がでたらめでないことが推測できる。 「右近が斬られたって聞いて、ちょっと情報収集をね。俺、甲賀忍者の末裔だから。  それに…俺もまだ『浪人』なんだ」 陣内は皮肉や自虐の入り混じったようなぎこちない笑みを返した。 「この、タコ」 呪縛から開放されたように、平四郎の眉間の皺が消えた。 「ひさしぶりにみんな集まったんだしさ、酒でも飲まない?」 その場に張り詰めていた緊張感が緩んだところで、陣内が提案した。 「いや、俺はやめておく」 千石はそう呟くと、懐に手を入れてその場を立ち去ろうとした。 「千石!」 平四郎がその背に声を掛ける。 「殿様、右近の仇を討つのは二十日後まで待ってやる。お互い、抜け駆けはなしだ」 千石は背を向けたままでそう答えると、竹やぶの中に消えていった。 「…父上」 陣之介は父親である陣内に何か言いかけたが、 深々と頭を下げると、千石の後を追って走っていった。 「千石の奴、戻っているな…」 平四郎の呟きの意図を理解できなかった陣内は、疑問の顔を向けた。 「まるで俺達と出会う前の久慈慎之介に」 平四郎は微かに口の端を上げた。  「さっきのは、陣之介か?」 小屋の中に陣内を招き入れた平四郎は、 あぐらをかいて酒を口に運びながら、向いに座る陣内に尋ねた。 「うん、俺に似て、肌のつやがいいだろ」 同じく酒を口に運んだ陣内が答えた。 「大きくなったな」 平四郎はメリケンに渡ってからの時の流れを噛み締めているようだった。 「ところでさ、そっちの可愛い娘さんは誰?」 先程から平四郎の斜め後ろに座っている、くのいち姿の娘に目をやった。 数日前に陣之介と刃を交わした娘である。 「ああ、俺の娘の小春だ」 平四郎が平然と答える。 「ホントに?!」 答えを聞いた陣内のほうは目を丸くした。 「メリケンに渡ってすぐに、母親の亡骸の傍で泣いているところを拾った。  どうやら母親は日本人らしいんだ。それからずっと、俺が面倒を見ている」 小春と紹介された娘は手をついてお辞儀した。 「あ、これはご丁寧に」 陣内もお辞儀を返した。 「ところで陣内、これからお前はどうする?」 「…そうだね、とりあえず右近の見舞いにでも行こっかな」 陣内は杯に残っていた酒をくいっと飲み干した。  「あれ?陣之介、まだこんな処にいたの?」 平四郎と別れて竹やぶの出口付近まで戻ってきた陣内は、息子の陣之介の姿を捉えた。 「千石さんから付いてくるなって言われて…。父上に伝言を預かっています」 そう言った陣之介の顔は心なしか青ざめていた。 竹やぶの竹がサワサワとざわめいた。 「えー、無茶なこと言うなあ」 千石からの伝言を聞いた陣内は顔をしかめた。 「最後に、『もしやらなければ、分かってるよな』だそうです」 「…人に物事を頼む態度じゃないね。陣之介、あんな大人になっちゃ駄目だよ」 陣内はしょうがないなあと頭を掻く真似をすると、陣之介の横を通り過ぎようとした。 「父上」 「何?」 息子からの呼びかけに、陣内が振り返った。 「先程、あのお二人は本気で剣を振るっていたように見えたのですが…」 陣之介はずっと確かめたかったことを思い切って父に尋ねた。 「そうだよ。だって手加減なんかしたら死んじゃうもん」 逆説的な答えだけを残して去っていく父の背を、陣之介は呆然と見つめていた。 竹やぶの竹が再びカサカサとざわめく。 父の姿が視界から消えると、陣之介は慌ててその姿を追った。  「先程の方々が、父上の昔の旅仲間ですか?」 陣内が去った後、小春は部屋でひとり杯を傾けていた平四郎に尋ねた。 「ああ。お前にも話したことがある、千石とタコ、それに陣之介だ」 平四郎は娘に対して笑みを向けた。 「千石とおっしゃる方、似てますね。ラヴァ−ル様に」 ラヴァ−ルという名前を耳にした平四郎の頬がわずかに強張った。 「そうだな」 平四郎は口元まで持っていった手を止めた。 「あいつは、ラヴァ−ルのようにはさせん」 それだけ言うと、杯に残っていた酒を再び口に運んだ。  「頭、殴り込みだ!」 血相を変えた若い男が、風神組の頭である寅蔵の部屋に飛び込んだ。 「何ぃ、相手はどこの組の者だ!」 壁に掛けてあった刀を手に取ると、寅蔵は自らに気合を入れるように叫んだ。 「それが…相手は侍で、しかも一人で乗り込んできました」 手下の若い男はきまりが悪そうに答えた。 「な、何だと?」 寅蔵が慌てて土間に駆けつけると、そこには黒い着物に身を包んだ浪人の姿があった。 浪人は刀を帯びず、左手にはどぶろくを持っていた。 「よお、お主が親分か。お主の手下が俺を探してるって聞いたから、こっちから来たぞ」 浪人、千石はそう言うと楽しそうに笑った。 「権十、おい権十!こいつか、てめえをコケにした侍ってのは!」 頭の寅蔵に呼ばれ、ひとりの男が前に進み出る。 「へ、へえ、そうです。この男です」 そう答えた男は、数日前、千石と陣之介にからんで追い払われた男だった。 「権十、てめえはどうやら飛んでもない男に喧嘩を売ったようだぜ」 千石の足元には既に数人の男が転がっていた。 「さあ、俺はこの通り、丸腰だ。まとめてかかってきやがれ」 千石は両手を広げた。 「でやあ!」 まず、千石の背後にいた男がドスを振りかざして飛びかかった。 「酒は飲め飲めぇ 飲むならば〜」 千石は中身が半分ほど残っているどぶろくをその男の頭に叩きつけた。 「日の本いちのぉ この槍を〜!」 どぶろくの破片が飛び散る中、続けざまに数人の男が飛びかかる。 「飲みとるほどに 飲むならば〜」 黒田節を謡いながら、千石は次々と殴り飛ばしていく。 「これぞまことの 黒田〜武士!」 千石は正面から襲い掛かってきた男を手刀で払うと、横に蹴り飛ばした。 「ここんところ、いろいろと溜まってたもんでな。すっきりさせてもらうぜ!」 ……半刻後。 町方の人間が駆けつけた時には、土間一面に転がる男達と その真ん中であぐらをかいて座っている千石の姿があった。  「お蝶さん」 座ったままでウトウトしかけたお蝶を、微かな声が現実に引き戻した。 「右近さん、気が付かれたのですか」 お蝶が笑顔を向けた先、死の淵から生還した右近の顔があった。 「私は、いったいどれくらいの間、眠っていたのでしょう」 右近は尋ねた。 「3日程ですよ。  右近さんの仕事は陣之介君と千石さんが引き継いでいますので、ご心配なさらずに」 そう答えたお蝶自身、陣之介や千石を心配しているのだが、 怪我人である右近を前にして気丈に振舞っていた。 「そうですか。陣之介が一緒なら大丈夫でしょう。…いえ」 「?」 途中で言葉を切った右近は、枕元に置かれていた刀に手を伸ばした。 「あっ、右近さん、駄目ですよ。まだ寝てないと」 お蝶が慌てて止めるが、右近は刀を支えにして立ち上がった。 「そうもいかないようです。…先程からこちらを窺がっている者達よ、出てこい」 右近は障子を開け放つと、部屋に向かってのびる廊下の先の闇に向かってそう言った。 「え?」 お蝶がそちらを覗き込むと、闇の中からふたつの黒い影が現れた。 「お主ら、何者だ」 その右近の問いには答えず、黒い影はそれぞれ腰に差していた2本の刀を引き抜いた。 「…また、二刀流か?」 3日前に「十手」二刀流の男にやられた右近は、心底イヤそうな顔をした。 黒い影は無言のまま二手に分かれると、右近に斬りかかった。 キンッ! 部屋の中に入られると挟み撃ちにされるおそれがあるため、 右近は部屋の入り口で抜刀して刀を受け止める。 比較的広い芝居小屋の廊下だったが、4本の刀から同時に斬りつけられることはなかった。 それでも先刻まで死線をさまよっていた右近は防戦一方にならざるを得なかった。 「せめてお蝶さんだけでも守らねば、あの三匹に恨まれるな…」 右近は心の中で呟くと、十分に力が入らない手でしっかりと刀を握り返した。 バッ! 右近の横側、庭に通じる障子が勢いよく開き、3人目の黒い影が躍りこんだ。 「まだいたのか!」 正面の相手の刀を防ぐだけで精一杯だった右近は、その動きが読めなかった。 「右近さん!」 3人目の影と右近の間にお蝶が飛び込み、両手を広げて右近をかばおうとする。 横からなぎ払われた刀がお蝶を襲おうとしたその瞬間、 シューっという風を切る音とともに、庭から一本の槍が伸びてきた。 そう、まさに伸びてきたのである。 槍は3人目の影を背中から突き刺すと、すぐに引き抜かれて闇の中に戻っていった。 「ノビタロウ?!」 右近がそう呟いた。 影はビクッと大きく痙攣すると、倒れて動かなくなった。 突然のことに、右近に斬りかかっていた影達はその動きを止めた。 「あなた達の相手は、僕がしましょう」 背後の闇から聞こえた声に、影達は弾かれたように振り返る。 廊下を滑るように歩いてくるのは、陣之介だった。 その眼に冷たい怒りの色をたたえた陣之介に、影達は恐怖を感じた。 それまで右近に向けていた刀を返し、陣之介に向かって走り寄る。 逆手に抜刀した陣之介は身体を低くする。 「柳生新陰流…風車の極意!」 陣之介は鋭い踏み込みから身体を回転させ、一瞬で二人を葬った。 「師匠、遅くなりました」 陣之介は右近に向かって無邪気な笑みを向けた。 「見事だ」 右近はそれだけ言うと、ガクッと膝から倒れこんだ。 「師匠!」 陣之介が傍に駆け寄って身体を支える。 その時、ガウン!という一発の銃声が外で響いた。 「今のは…?」 その音でかろうじて意識を保った右近が、陣之介に尋ねた。 「父上です。安心して、休んでください」 その声を最後まで聞くことなく、右近の意識は再び闇に沈んでいった。  「くそっ、あいつら何者だ」 芝居小屋の外で待機していた影は、撃たれた肩口を押さえながら走っていた。 あれ程大きな銃声が響いては、もはや夜襲など意味をなさない。 それ以上に、油断ならない敵の存在を組織の首領に伝える必要があった。 影はひとつの大きな屋敷の裏口に立つと、勝手口に向けて何かを囁いた。 勝手口が音もなく微かに開くと、影はその中に入っていった。 しばらくの静寂の後、 「クンクン…」 わざとらしく匂いを嗅ぐ真似をしながら、陣内が闇の中から姿を現した。 「匂う、匂うね。悪のにおいが…。そして、この妖艶な女のにおい…ん?」 陣内はふと、男が入っていった屋敷を見上げた。 「あ、あれ?」 そこは、おとといまで陣内が入り浸っていた未亡人の屋敷だった。 第六幕に続く


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