殿様千石たこ道中小説


三匹が斬る!外伝 第一幕


「帰ってきた三匹 人買い事件の 犯人は殿様?!」

 西の空に夕闇が迫る頃、江戸の街の人々は皆、家路を急いでいた。 時は江戸時代後期、夜になれば人斬りや物取りが横行していた時代である。 街の片隅に架かっている古びた橋の下、ひとりの浪人がぼろ布にくるまって寝転がっていた。 浪人は汚い黒の着物に身を包み、長い髪は後ろでひとつに束ねられていた。 「おい、お侍さん、こんなところで何やってんだよ」 夕闇と共にどこからか現れた数人の男が浪人の前に立ち止まった。 「ここで寝るからには俺らに出すもん出してもらわねぇとな」 男のひとりが浪人の前にかがみ込んで、陰湿な笑みを浮かべながら手を出した。 浪人は男を一睨みしたが、何も言わずに再び目を閉じた。 浪人の眼光の鋭さに一瞬戸惑った男だったが、何もしてこないことが分かると再び強気に出た。 「おい、俺の話を聞いてんのか」 男の蹴りが浪人の顔をとらえようとした瞬間、下から伸びてきた手が男の足首を掴んだ。 「腹減ってるときの俺を怒らせるんじゃねえよ」 男の足は次第に押し戻されていった。 「なにぃ。てめえ、俺達に逆らうとどうなるか。おめえら、こいつの身体に教えてやれ」 その声に反応し、背後にいた男達が一斉に懐から刃物を取りだした。 「あのぅ、それくらいにしたらどうですか」 突然自分達の背後から響いた場違いなおっとりした声に、弾かれたように男達は振り返った。 振り返った男達のすぐ後ろ、着流し姿の10代後半の若い侍が立っていた。 「な、なんだてめぇ。てめえら、こいつもやっちまえ」 頭に血が上った男は見境いがなくなっていた。 「しょうがないですね」 斬りかかってくる男達を、若侍は身体を軽くひねるだけで避け、次々と手刀を打ち込んでいった。 「よっ、陣之介。久しぶりじゃねえか」 今まで寝転がっていた浪人が上半身だけを上に傾けて、若侍に話しかけた。 「はいっ。こんばんは、千石さん。おにぎり持ってきました」 「ほっ、それはありがたい。ちょうどまる2日何も食べてねえんだ」 千石は陣之介の手から包み紙を奪うように取ると、中に入っていた握り飯にかぶりついた。 「おい!てめえら俺を無視するな」 陣之介の予想外の強さに言葉を失っていた男がようやく我に返った。 「うるせえ」 と、千石が両手に持った握り飯を口一杯にほうばりながら、文字通り「一蹴」した。 「陣之介、タコはまだ帰ってこねえのか」 千石は口からご飯粒をいっぱい飛ばしながら陣之介に話しかけた。 「千石さん、もうちょっと行儀良く食べてくれませんか」 「へっ。お前、だんだん口振りが師匠の右近に似てきてるぞ」 「それは光栄です。父上は…一度帰ってきましたが、またすぐにあの女性のもとに戻りました」 タコとは千石の昔からの旅仲間で、陣之介の父親にあたる男、燕陣内である。 むかしから女癖が悪く、今はとある江戸家老の未亡人の元に通い詰めているらしい。 「で、お前は右近の母上にお世話になってるわけか」 「はい。ただでお世話になってるわけにもいきませんので、  今夜は師匠の仕事を手伝うことにしました」 「お、捕り物か?」 アッと言う間に握り飯を食べ終えた千石は、興味を持ったらしく身を乗り出した。 「はい。師匠が幕府の密命で内定を進めてきた人買いの取引が今夜行われるそうで」 「よし。俺も連れてけ。ちょうど身体がなまってたところだ」 「ダメですよ。そんなことしたら僕が師匠に怒られてしまいます」 陣之介はそう言い放つと、その場を立ち去ろうとした。 「おい、ちょっと待てよ」 「ここから南に半刻ほど歩いた所にある三河屋です。来たければどうぞ」 陣之介は千石に背を向けたまま応えた。 「なんだ、話が分かるじゃねえか」 千石は手の甲についていた握り飯の最後の一粒を口に運んだ。  「師匠、遅くなりましたぁ」 半刻の後、陣之介は三河屋の斜め前にある小屋にたどり着いた。 もう空は完全に夜の闇が支配し、満月の光が辺りを照らしていた。 小屋の中には、捕り物の準備を整えた屈強な男達が十数人待機していた。 「あいかわらず緊張感に欠けるやつだ。で、奴らをおびき出すのは任せていいんだな」 陣之介と話をしている男は吉良右近、吉良上野介の末裔であり、陣之介の剣の師でもある。 彼は今、幕府の不正に絡む事件のみを対象とする特務奉行の地位にあった。 本来この仕事は幕府の要職の人間からも睨まれるため多くの者が断ってきたが、 不正行為に人一倍うるさいこの男にはまさに天職であった。 今回右近が目を付けたのは、幕府の一部の人間が利権を握っていると思われる メリケン国からの人買いの疑いであった。 その取引が今夜、この三河屋に於いて行われるという情報を掴んだ右近は、 十数名の信頼できる部下達と共に斜め向いの小屋に張り込んでいたのである。 「おい、陣之介、それは何だ?」 陣之介は背中に背負っていた風呂敷包みから短い棒を十本ほど取りだした。 「まあ、見ててください」 右近が訝しげに訊ねたが、陣之介は答えをはぐらかしたまま小屋の外に棒を並べはじめた。 「またお前の発明か。そういうところだけは父親に似てるな」 右近は半分呆れ顔だった。 「さて、準備ができました。いつでも発射できますよ」 「こちらも準備はできてるが、おい、その発射っていうのは…」 右近が言い終わらないうちに、陣之介は並べた棒に次々と火を付け始めた。 ヒュッ! という風を切る音と共に、次々と棒が三河屋の塀の中に飛び込んでいった。 右近と陣之介が小屋の中に戻って息を潜めると、再び闇夜に静寂が戻った。 「おい、今のは何だ」 右近は改めて訊ねた。 「花火を応用したものです。物に当たると煙が出る仕掛けになっています」 と、言うが早いか、三河屋の扉の隙間から大量の煙が吹き出してきた。 「げほっごほっ…がはっ」 正面の扉が勢い良く開き、中から店の者と思われる男が数人飛び出してきた。 右近達はそのひとりひとりの顔を確認していき、やがて陣之介が小さく声を上げた。 「いました。間違いない、メリケンの人間です」 陣之介が指さす先、周りの男達に比べて一回り背が高い男がいた。 月明かりに反射する金色の髪は日本人のそれではなかった。 「よし、行くぞ」 右近の声に合わせて小屋の中の男達が一斉に飛び出した。 それに合わせて別の小屋からも数人の男が飛び出す。 と、ここまでは右近の予定通りであった。が、 「ごほっ、げほっ、おい、ごほっ、陣之介、やりすぎだ、ごほっ…」 「あらら、ごほっ、まだけっこう、ごほっ、煙が残ってるみたいですね」 先に店の中に突入した二人は通り道にある雨戸を開けていくことを余儀なくされた。 二人が店の中頃まで進んだ頃、右近は裏口が開いているのに気付いた。 「陣之介、ここはまかせたぞ」 「はいっ」 返事を聞く前にすでに右近は裏口に向かって駆け出していた。 今の右近にとって、自分の剣術や兵法の全てを教え込んだ陣之介は、 そのおっとりした性格と少々ドジなところを差し引いても最も信頼できる男であった。  右近は裏口にも数人の部下を配置していたが、 三河屋が雇った用心棒によってすでに斬り捨てられていた。 「くそっ、町方は鷲尾様が押さえてくれていたのではなかったのか。  こうなったら一度メリケンの組織に逃げるしかない」 三河屋伝兵衛と5人の用心棒は店のすぐ側にある港に向かっていた。 「へー。お前らの親分は鷲尾様っていうのか」 突如、伝兵衛達の目の前にひとりの浪人が姿を現した。 黒い着物は闇と同化し、その眼は月に反射してギラギラと光っていた。 「だ、誰だ。ちいっ、先生方、この男も斬ってください」 言われるまでもなく、用心棒達は皆、刀を抜いていた。 まず、先頭にいたふたりが左右から同時に斬りかかった。 浪人は着物の袖に入れていた両手をゆっくりと引き抜き、 次の瞬間には月明かりに照らされた光の筋が真横に一本引かれていた。 斬りかかったふたりの男は、自分達に何が起こったのか分からぬまま倒れていった。 「な、何?!」 続けて斬りかかろうとしていた男達が思わず足を止める。 「なんだ、もうちょっと歯ごたえのある奴はいねぇのか」 浪人、千石は次のふたりもあっさりと斬り捨てると、まっすぐ伝兵衛に向かって歩き出した。 「貴様ぁーっ!!」 用心棒のリーダー格だった最後のひとりが千石に斬りかかる。 千石は数回身体をひねってその太刀をかわすと、男の左肩から右脇腹にかけて刀を振り下ろした。 自分のほうに倒れてこようとする男を横に蹴飛ばし、千石はさらに伝兵衛の元へと歩みを進める。 「おのれー!」 伝兵衛は懐に手を入れると、短筒を取りだした。 これには千石も目を見張ったが、素早く次の動作に移れるよう身構えた。 一発。最初の一発さえ避けることができれば千石の勝利は確実となる。 だが。はたしてこの距離で避けることができるだろうか。 伝兵衛のほうもそれが分かっているらしく、一瞬の膠着状態が生じる。 「伝兵衛!」 と、伝兵衛の背後から突如、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。 一瞬、ビクッと肩が震える伝兵衛。その隙を千石は見逃さなかった。 素早く相手の懐に飛び込むと、愛刀である胴太貫を真っ直ぐに突き立てた。 「ぐっ」 伝兵衛の最期の一声と共に、一発の銃声がむなしく闇夜に響きわたった。 「よぉ、右近、ひさしぶりだなぁ」 千石は、伝兵衛の名前を呼んだ人物に声を掛けた。 「まったく、それがたったいま命を助けた者に言う台詞か」 少し呆れたような右近の言葉に、千石は「へへっ」と照れたように笑った。  一方、屋敷に残っていたあらかたの人間を捕まえた陣之介は、 メリケン国の人買いが連れてきたという人々を探していた。 襖の向こう側に人の気配と微かな殺気を感じた陣之介は歩みを止めた。 「まだ残ってましたか。隠れてないで出てきてください」 陣之介は刀を逆手に構えた。 一瞬の静寂の後、目の前の襖が勢い良く開き、ひとつの人影が躍り出た。 「え、女性?!」 陣之介に刀を弾かれた人影は、陣之介の左に飛び退いた。 細身の刀や着物は日本の「くのいち」に近かったが、 その顔立ちはどことなく東洋人ばなれしていた。 続けて攻撃を仕掛けてくる自分と同じぐらいの年の少女に どう手加減したら良いものか迷った陣之介だったが、その必要は全くないことに気付いた。 「ちょ、ちょっと待ってください。あのー、流儀は何ですか」 相手の流儀を聞いて返し技で対処するのは、師匠である吉良右近の得意技である。 ただ、この場合、相手に日本語が通じるのかはさだかではなかった。 「…殿様流よ」 返ってきた意外な答えに、質問した陣之介のほうが動揺する。 「ちょ、ちょ、殿様って…」 陣之介はとっさに、自分がまだ幼かった頃 父親や師匠と一緒に旅をしていた浪人の本名を思いだそうとしたが、 間髪置かない鋭い攻撃の前に思うように思考が働かなかった。 ドドドドドド…… と、店の者を残らず捕らえた右近の部下達が廊下を駆けてくる足音が響いた。 「くっ。あなた達、よくもあたしたちの計画を邪魔してくれたわね」 少女はところどころ訛りのある日本語で捨て台詞を残すと身を翻した。 「ちょ、ちょっと…」 とっさに手を伸ばした陣之介だったが、少女の姿は闇の中に消えていった。 「矢坂…平四郎…」 ようやく思い出した人物の名前を、陣之介は声に出して言ってみた。  その後、メリケン国から連れてこられたという人々を改めて探した陣之介だったが、 店の牢はすべて何者かに鍵が壊され、もぬけの空だった。 「何ぃ?!殿様だとー。おい陣之介、それは本当か」 半刻の後、事件の事後処理を終えた右近達3人は三河屋の一室に集まっていた。 「とにかく、この人買い事件、末端の三河屋を処分したところで解決には至っていない。」 陣之介に掴みかからんばかりの勢いで問いつめる千石を、右近が制した。 「幕府の中にいる黒幕とメリケン国の闇組織、このふたつを押さえないことには。  俺が知る限りでは幕府の要人の中に『鷲尾』という男はひとりだけだ。  俺はそいつについて調べてみる。千石と陣之介は消えた人々とその女を探してみてくれないか」 「ああ。言われなくてもそのつもりだ。右近、タコにもこのことを伝えておいてくれ。  あいつのことだ、もうしばらくすりゃ未亡人に愛想尽かされて戻ってくるだろうからな」 千石は空を仰いだ。 一点を見つめるその眼は、東の空に浮かぶ満月に誰かの顔を重ねているようだった。 第二幕に続く


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