殿様千石たこ道中小説


三匹が斬る!外伝 第六幕


 「ズズズズッ」 芝居小屋に戻った陣内は、小道具置き場になっている部屋を借り、遅めの朝食をとっていた。 「ということは、父上、そこが奴らの本拠地だったのですか?」 詳しい説明もなく味噌汁をすすり始めた陣内を前に、陣之介がしびれを切らして尋ねた。 「そうでもないみたいなんだよ。  あの屋敷ね、主である江戸家老が亡くなってからは、敷地の半分しか使ってないんだよ。  だから、奴らが一時的に身を隠すには丁度いいんだろうね。  周りも武家屋敷ばっかりだから、情報収集するのにも便利だろうし」 そこまで言うと、陣内はサトイモをほおばった。 「で、奴らの正体は何か掴めましたか?」 師匠である右近を襲った奴らの正体を早く知りたい陣之介であったが、 陣内の口の中のサトイモがなくなるまで答えを待たなければならなかった。 「ん。奴ら、忍びじゃないみたいなんだけどね、特別な訓練を受けてるみたいなんだ。  殺しの専門家ってところかな。  下手に近づけないし、夜明け前にはもぬけの空になってたから、正体までは掴めなかった。  ただ、ちょっと気になることが…」 陣内は一点を見つめたまま、真剣な顔つきになった。 「気になること…ですか?」 「うん。さっきから気になってるんだけど、これ、何ていう食べ物なんだろうね」 陣内は半透明のゼラチン状に調理された黄色い食べ物を箸でつまみあげた。 「…父上」 「冗談だよ。じつはね、そいつらの中に、女や子供も混じってたみたいなんだ」 「女性や、子供…ですか?」 陣之介は驚いて聞き返した。 「うん。統制の取れた殺し屋集団が、どうしてわざわざそんな者達を使うと思う?」 「さあ、相手が油断するからでしょうか…」 考え込んだ陣之介を前に、陣内はゼラチン状の物体を口に放り込んだ。 「…この味は伊予柑かな。ごちそうさま。じゃ、俺は寝てくるわ」 陣内は箸を置いて立ち上がった。 「あ、父上、ちょっと待ってください。  千石さんが昨日、奉行所に捕らえられたそうです」 「えっ、本当にやっちゃったの?…しょうがないなあ。陣之介、後は頼むわ」 「ちょ、ちょっと待ってください。千石さんから頼まれたことはどうするんですか?」 立ち去ろうとした陣内を、陣之介は慌てて呼び止めた。 「陣之介がやっといてよ。俺、徹夜明けだし、頭剃るの嫌だもん」 陣内はそう言い残すと、手をヒラヒラとさせて部屋を出て行ってしまった。 「そんな…」 後に残された陣之介は、呆然としたまま動けなかった。  その日の午後、千石は裁きを受けるために、御白州に引き出されていた。 千石の横には、彼に叩きのめされた風神組の頭である寅蔵と配下の男達が控えていた。 「南町奉行鳥居甲斐守様代理、板倉内膳司様、御出座ー!!」 ドン……ドン…ドン…ドンドンドンドンドンドン………ドン!! 派手な太鼓の音と共に、襖がすーっと開き、奥から若い奉行が姿を現した。 その凛々しい顔…というより、無理やり奉行代理をやらされたことで 少しムッとしているだけなのだが…は紛れもなく陣之介だった。 陣之介はぎこちない所作で定位置に座ると、大きく息を吸い込んだ。 「一同の者、面を上げい」 奉行の言葉に顔を上げた千石は、意図していなかった人物の登場に少し驚いたが、 すぐに微かな笑みを浮かべた。 「久慈慎之介、その方、風神組の屋敷に単身乗り込んで暴挙を働いた罪、既に明白である。  これに相違ないか」 陣之介が千石を軽く睨みつけると、千石は「ははーっ」と頭を下げた。 風神組の男達もきまりが悪そうに、これに倣う。 「合い分かった。久慈慎之介、その方に百叩きの刑を申し付ける」 陣之介のこの言葉に、千石は顔色を変えた。 「陣…じゃねえ、御奉行様、そうじゃねえだろうが」 千石の「作戦」では、ここで島流しを言い渡される予定だったのである。 もちろん、奉行代理である陣之介の立場としては、 侍がやくざ者を殴ったというだけでそんな刑罰を与えることはできない。 「お、御奉行様。拙者は今回のことを、心から反省しているのだ。  どうか拙者に島流しをお申し付けくだされ」 千石は両手のこぶしを白州につき、深々と頭を下げた。 「ほう、それは良い心がけだ。鈴木殿、次のご赦免船はいつ戻ってくる?」 陣之介は傍に控えていた記録係に尋ねた。 「は、はあ、ちょうど10日後になりますが…」 奉行代理と罪人の奇妙なやりとりに違和感を覚えながらも、「鈴木殿」はそう答えた。 「よし、久慈慎之介、今回は特別の計らいにより、  百叩きの刑の後、10日間の島流しを申し付ける!」 「ちょ、ちょっと待てよ。百叩きは余計だ!」 陣之介の発言に、千石が思わず腰を上げる。 「ああ、百叩きはいらぬのか。  …まあよい。これより10日後に渡し場に着く船に乗って八丈島に渡るがよい」 とぼけた顔で陣之介はそう切り返したが、千石の顔は少し引きつっていた。 「は、ははーっ!」 我に返った千石が頭を下げるのを見届けると、陣之介は立ち上がった。 「これにて、一件落着!」 他の男達が狐につままれたような顔をしているのを尻目に、 仕事をやり終えた陣之介は悠々と引き上げていった。  10日後。 「おい、何をジロジロ見てんだよ」 自分の顔を覗き込む視線を感じた船頭は、不快を口にした。 「悪い。人違いだ」 覗き込んでいた男、囚人の着物に身を包んだ千石は軽く笑いながら謝った。 「おかしな奴だな。  だいたい、オラはもうこの仕事を始めて40年になるが、  10日間だけの島流しなんて、聞いたことがねえよ」 船頭はあきれたように言った。 「おっかしいな。タコの野郎、どこに…。あ、いたいた」 海岸沿いに植えられた松の木の根元に陣内を見つけた千石は、笑顔で手を振った。 「はあ。結局は俺も、後から潜入しなきゃいけないのね」 右手に千石の黒い着物、左手には千石の愛刀である同田貫を抱えた陣内は、 ため息まじりに呟いた。  千石が八丈島に渡った数日後、その日は夕方からどんよりとした黒雲が立ち込めていた。 「おい、なぜ急に止まるのだ。まだ屋敷には着いておらぬだろう!」 籠に乗って帰宅途中の鷲尾主膳は、中から籠担ぎに向けて怒鳴った。 「そ、それが…。若いお侍様が道の真ん中で、両手を広げて立っておいででして…」 鷲尾が顔を出して前方を見ると、確かに着流し姿の見知らぬ若い侍が立っていた。 「おのれ、拙者は目付だぞ。あの若僧め、どういうつもりだ。おい、あいつを退かせろ」 鷲尾の命令で、籠を護衛していた6人の侍のうちふたりが前に歩み出た。 「鷲尾主膳様ですね?」 その若い侍は、何ら慌てることなく尋ねた。 「いかにも。貴様、何奴だ!」 籠から身を乗り出した鷲尾は声を荒げた。 「お初にお目にかかります。拙者は特務奉行配下の燕陣之介と申します」 陣之介は軽く頭を下げた。 「特務奉行だと!  …ふははははは、吉良殿が亡くなられてからは特務奉行の席は空白のはずだが…」 顔を一瞬だけ引きつらせた鷲尾であったが、すぐにふてぶてしい笑みを浮かべた。 「いや、俺ならここにいるぞ」 背後からした声に、鷲尾と配下の男達は驚愕の形相で振り返った。 そこには、死んだはずの右近の姿があった。 「ば、馬鹿な。貴様、死んだはずでは!」 そう叫んだ鷲尾の額に雨の雫がポタリと落ち、顔が恐怖で引きつった。 「残念だが、俺を殺し損ねたようだな。鷲尾主膳」 右近はそう言うと、懐から1枚の書状を取り出した。 「上様から頂いた、斬り捨て御免状だ。特務奉行として、お主を成敗する」 右近は刀の鍔に手をかけた。 「くっ。…丁度良い、ここで貴様をもう一度あの世に送ってくれるわ」 鷲尾が手をかざすと、護衛の男達が一斉に刀を抜いた。 「この者達は皆、神道無念流の使い手だ。貴様らなど敵ではないわ!」 勝ち誇ったような鷲尾を前に、右近と陣之介は困ったような顔で笑みを交わした。 「鷲尾主膳、お主は今、万に一つの勝機も失った」 「なんだと…」 右近と鷲尾が睨みあいを続ける中、男のひとりが陣之介に斬りかかった。 素早く抜刀した陣之介に刀が振り下ろされた次の瞬間、男はうつ伏せに倒れていた。 「な、何ィ!」 鷲尾が悲鳴に似た叫び声をあげた。 「人心鏡の如し…だ」 右近は平然と言い放った。 「人心鏡の如し」とは、相手の出るのに対して鏡のように自然に応じるという 神道無念流の極意である。 しかし、神道無念流の使い手であるはずの護衛たちは誰一人として、 陣之介の動きを捉えることができなかった。 「ひっ。皆のもの、まずはあの小僧だ。あ奴を斬り捨てるのだ」 怒りと恐怖で錯乱し始めた鷲尾の命により、右近に向かっていた4人の護衛のうち ふたりが引き返し、陣之介に向かって走っていった。 だが、そんなことはもう何の意味もなさなかった。 陣之介達に斬りかかった残りの護衛も、瞬きする暇もなく倒れていった。 「お、お前らも行け!」 完全に錯乱した鷲尾は、籠担ぎ達を陣之介のほうに向けて突き飛ばした。 「悪あがきはよせ」 背後からした声に振り返った鷲尾の鼻先に、右近の刀の切っ先が向けられていた。 「ひー。わ、わしが悪かった。  吉良右近、金ならいくらでもやる。だから、見逃してくれ」 鷲尾はずるずると後ずさりすると、刀を抜刀して無茶苦茶に振り回した。 「そうだな。  今より5日後に八丈島で行なわれる阿片の取引、お主も裏で一枚噛んでいるであろう。  取引に関わっている人物の名前を全て吐け。  そうすれば、阿片と人買いの事件に関わった罪、全て見逃してやろう」 右近はそう言うと、刀を納めた。 「ほ、本当か。言う、言うとも。  メリケン国の武器商人ハルス。八丈島奉行の宗像大膳。  わしが雇った幻狼という殺し屋集団の首領。それから…」 鷲尾は、取引に参加する者達の名前を次々と、早口で暴露していった。 「…これで全てだ。後のことはわしは知らぬ」 安堵した表情で立ち去ろうとする鷲尾の前に、陣之介が立ち塞がった。 「退くのだ。わしの罪は許されることになったのだ。のう、吉良殿」 鷲尾が振り返ると、右近は再び抜刀していた。 「な、何のつもりだ。約束が違うではないか!」 鷲尾が怒りで顔を真っ赤にしながら怒鳴った。 「確かに、特務奉行として貴様の罪は問わぬ。ここからは俺の私怨だ」 右近はゆっくりと歩みを進めた。 「お、おのれ。謀ったな!」 鷲尾は刀を上段に振りかぶると、右近に向けて力の限り振り下ろした。 右近はその刀を頭上で受け止めると、 左手で鷲尾の脇差を素早く引き抜き、彼の胸に突き刺した。 「ぐっ」 という最期の言葉を残し、鷲尾はそのまま崩れ落ちた。 「師匠、二刀流…ですね」 陣之介は、鷲尾の脇差を握ったままの右近の左手を指差し、悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「こんな男の血で、俺の刀を汚したくなかっただけだ」 右近はそう言うと、鷲尾の脇差を放り捨てた。 「それにしても、八丈島の奉行まで関わっているとは意外でしたね…」 陣之介は真剣な面持ちになった。 「ああ。お前の父親はもう八丈島に渡ったのか?」 「ええ。昨日…」 「そうか…。よし、我々も船を手配して後を追うぞ」 右近は踵を返した。 「しかし、師匠。千石さんが、僕達は来てはいけないと…」 陣之介が悔しそうに顔を伏せた。 「おい陣之介、特務奉行の心得を言ってみろ」 右近は振り返ることなく、真剣な声音でそう言った。 「えっと…、特務奉行の心得その1。  特務奉行はいかなる状況下においても、将軍以外の一切の命に従う必要なし…あっ」 陣之介は顔をあげた。 「うむ。一緒に来るか?」 右近は微かに笑いを浮かべて振り返った。 「はい!」 陣之介は満面の笑みで返事をすると、右近のほうに走り出した。  その半刻後、太陽が西の空に完全に沈むと、 八丈島の船着場に隠れていた陣内が動き出した。 「さて、とりあえずは御奉行様に事情を説明しておくとするか」 陣内は小走りで島奉行の屋敷に忍び込むと、屋根裏に上った。 まだ陽が沈んだばかりということで、灯りの付いている部屋が多かった。 「御奉行様はどこにいらっしゃるのかな」 陣内が音を立てずに注意しながら屋根裏を巡っていると、 ひとつの部屋から、低い声で男達が喋っているのが聞こえてきた。 「幻狼殿、では、阿片をバラ撒くのは貴殿にお任せしてよろしいのですな」 「はい。御奉行はただ我々のすることを見ていていただければ、それでよいのです」 光の漏れている隙間から、陣内が下を覗き込むと、 身分の高そうな着物を着た男と、ボロボロの修験者の格好をした男が向かい合っていた。 「それだけで儲けの2割が我が懐に入るというわけか。  幻狼殿、鷲尾様に拙者の今後のこともよろしくとお伝えくだされ。はっはっは」 奉行の宗像大膳は笑いをこらえきれなかった。 「…シッ。どうやら、大きな鼠が一匹、屋根裏に迷い込んだようです」 幻狼はそう言うと、天井を見上げた。 「!」 下からはこちらが見える筈がないのだが、 陣内は幻狼と目があったような気がして思わず声をあげそうになった。 その男の目は、見る者全てを凍りつかせてしまうような深い闇を湛えていたのである。 陣内は無言で後ずさると、急いでその場を離れた。 「何、鼠だと。よし、すぐに捕らえさせよう」 宗像大膳が手を叩いて配下を呼ぼうとするが、それを幻狼が制した。 「まあ、お待ちくだされ。鼠には必ず仲間がいる筈です。  しばらく泳がせてみることにしましょう。私に考えがありますので…ククククク」 身体の芯が凍りつくようなその低い笑い声に、宗像は何も言い返すことができなかった。  囚人達は、陽が沈むと同時に床に就かなければならなかった。 千石は、牢の一番前に陣取ると、陣内が来るのを日々心待ちにしていた。 「タコ、早く来やがれ」 今日もなかなか眠れずに牢の外をぼんやりと眺めていると、 視線の端にあった灯りがゆらめいた。 「おっ、来た来た」 陣内が牢の前に滑り寄ると、 千石は他の囚人達に気付かれないようにそっと身体を起こした。 「遅かったじゃねえか。やっぱり取引はこの島で行なわれるみたいだぞ。  数日前から、大罪を犯したものばかりが何人も行方知れずになっているんだ」 千石が待ちかねて牢越しに話し掛けるが、陣内は無言で 牢番を気絶させて奪った鍵を使って牢を開けることに必死になっていた。 「おい、何か言えよ。そうだ、島奉行にはちゃんと事情を話しておいたんだろうな」 千石がそこまで言ったところで、鍵がガチャッと音を立てて開いた。 「その御奉行様が事件に関わっているんだよ。気付かれた。早く逃げないと」 陣内はそう言うと、千石に同田貫を渡し、もと来た道と反対側に歩き出した。 「何だと」 牢から出た千石は鍵をかけ直すと、陣内とは反対側に向かって歩き始めた。 「ちょっと、どこ行くんだよ。そっちから出たら、追手に見つかっちゃうよ」 陣内が慌てて呼び止める。 「決まってるだろうが。奉行を斬るんだ。奉行ともあろう者が、けしからん!」 千石は同田貫を腰に差した。 「ダメだよ。そんなことしたら、取引が行なわれなくなっちゃうじゃないか。  殿様と約束しただろ。取引まで手を出さないって」 「…そうだったな。ったく、面倒くせえなあ」 千石は頭を掻くと、渋々ながら陣内の後に従った。 第七幕に続く


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