殿様千石たこ道中小説


三匹が斬る!外伝 第二幕


 「千石さん、さっきから何処に向かってるんですか?」 翌日、千石と共に「殿様」の行方を追うことになった陣之介は 黙々と前を歩いていく千石に問いかけた。 「もう着くはずなんだがなぁ。たぶんあれじゃねえか」 千石が指差した先、一際大きな建物が目に入った。 「あれは、芝居小屋のようですけど。あそこに誰かいるんですか?」 「ああ。殿様についてよく知ってるやつだ」 千石は歩みを止めることなく、芝居小屋の裏口から中に入ろうとした。 「あ、ちょっと千石さん、待ってください」 慌てて陣之介もその後を追う。 「おい、お蝶!いるか?いるんだろ?」 千石は中に入ると大声で人を探し始めた。 「ちょっとお侍さん、お待ちください。お蝶とは誰のことです?」 芝居小屋にいた人々は慌てて千石を抑えようとした。 「お蝶だよ、お蝶。タコからここにいるって聞いてるんだ。こぉんな顔しててな…」 千石はちょこっと首をかしげ、大きく見開いた目をパチパチと瞬きした。 「は、はぁ…」 「えぇい、分からない奴だな。もういい、自分で探す!」 千石は、ボロボロの黒い着物をまとった細身の男を片手で払いのけ、奥に進もうとした。 「あ…」 ガシャン! 細身の男はひょろひょろと倒れ、そばにあった小道具を派手な音をたてて倒してしまった。 「おい、何事だ」 騒ぎを聞きつけた芝居小屋の人間が千石の周りを取り囲んだ。 どうやら立ち回りのある芝居をやっているらしく、手にはそれぞれ木刀を携えていた。 「あー、千石さん、まずいですよ」 遅れて入ってきた陣之介はこの光景を目にして慌てた。 と、そのとき 「あら、千石さんじゃないの」 かわいらしい声と共に、奥の部屋から小柄な女性が顔を出した。  「千石さん、ここではあたしは『恋川春蝶』って名前で通ってるのよ」 奥の部屋に入った千石と陣之介は、お蝶という女性と向き合って座った。 お蝶は昔、千石達と共に旅をした仲間である。 「あー、そうだっけな。たしか今は芝居の脚本を書いてるんだったよな」 「そうよ。あ、そうそう。  さっき千石さんが倒しちゃった男の人、今回のお芝居で千石さんの役を演じてる人よ」 「ブッ…ゴホゴホゴホ…何ぃ!お前、まだ俺らの昔の話を使って本を書いてんのか!」 千石は出されたお茶でむせ返りながら、複雑な表情でお蝶を睨んだ。 「だってぇ、あーんな面白い話、そうそう無いわよ」 お蝶はイタズラっぽい笑みを返した。 「まあいいけどよ。それよりこの茶、まずいな。こんなもん毎日飲んでたら身体によくないぞ」 陣之介が両手で椀をくるくると回してる間に、千石は一口で茶を飲み干してしまった。 「これはそんな一気に飲むものじゃないのよ。千石さん、あいかわらずね」 お蝶はクスクスと笑った。 「そういうお前こそ、全然変わらねぇな」 「あら、珍しい。お世辞?」 「いや、本当だ。お前は全くあの頃と変わらねぇ。俺がお世辞なんか言うように思うか?」 「…思わない」 お蝶はすぐに納得した。 というのも、千石ほどの刀の腕があるのだ、 お世辞と世渡りさえ巧ければとっくに仕官できているはずだからだ。 「で、わざわざそんなこと言いに来てくれたの?」 「あ!そうだ、忘れてた。お蝶、殿様のこと知らねぇか?」 千石は慌てて本題を切り出した。 「殿様?殿様がどうかしたの?」 「じつはな、陣之介が斬りあった女が殿様流なんだ!」 「え?全然分からないわよ」 お蝶は首を傾げた。  「…と、いう訳なんです」 陣之介がひととおりの経緯をお蝶に話すと、お蝶は軽くうなずいた。 「なるほどね。でも、その『殿様』が『矢坂平四郎』って保証はないんでしょ」 「おい、殿様流だぞ、殿様流。流儀にそんな名前付けるの、あいつしかいねぇだろ」 「うーん、まあそれもそうね。でも残念ね、あたしは何も知らないわよ。  あたしの花嫁姿を見るときは日本のどこにいても戻ってきてくれるって  約束したのに、そのあたしに一言もなしにメリケン国行っちゃうんだもん」 「へへっ。まあいいじゃねぇか。そんな相手もいねえんだから」 「あら、失礼ね。ちゃんといるわよ。ほら、ここに」 お蝶は前方を指差した。 「え?」 が、その指先は千石ではなくその後ろの陣之介に向けられていた。 「千石さんは知らないでしょうけどね。  陣之介くんが元服したら所帯持たせてくれるってタコさんと約束したのよ」 「それは本当か、陣之介!」 千石が慌てたような表情で陣之介を振り返る。 「え、いや、僕はそんな…、ええ?」 「あら、ヒドイ。陣之介くんが元服するのを何年も楽しみにしてたのに…」 お蝶がわざとらしく袖で顔を隠して泣きまねをした。 「陣之介ぇ!」 「ええぇ?」 千石の気迫に押されるように、陣之介は正座したままズルズルと後ろにさがった。 「冗談よ」 と、突然お蝶が舌を出してイタズラっぽく笑った。 「なんだ、冗談か」 その言葉に千石もくるっとお蝶に向き直り、とっとと本題に戻ってしまった。 部屋の隅にまで後退した陣之介はひとり、師匠である右近の言葉を思い出していた。 この人たちのテンポに慣れるには相当苦労する…と。 そんな陣之介を尻目に、千石とお蝶は殿様探しについて話を進めていった。 「じゃあメリケンの人間が集まるような場所は知らねぇか?」 「うーん…あ、そうそう。  ここから南に半日行った所にある江戸外れのお寺の裏にある竹やぶに、  メリケンの人々が集まって作った集落があるらしいわ。  幕府でも簡単には手を出せないらしく、近づくなって言われてるの」 「よし、陣之介、そこに行くぞ。お蝶、また来る」 千石はそれだけ言うと立ち上がった。 「あ、待ってください。お蝶さん、お邪魔しました」 「あ、ちょっと…」 お蝶が止める間もなく、ふたりは部屋を飛び出していった。 「ホント、あいかわらず…」 お蝶は小さなため息を吐いたが、その唇には自然と笑みがこぼれていた。  半日後、千石と陣之介はその竹やぶにたどり着いた。 もうあと半刻で夕闇が迫ろうとしていたが、 千石はためらうことなく竹やぶの中に入っていった。 「いるなぁ、かなりの数だ。それも皆、すげえ殺気を放ってやがる」 しばらく進んだところで千石が刀の鍔に手をかけ、そのまま黙々と進んだ。 相手はどうやら千石たちがふたりで乗り込んできたことに戸惑っているらしく、 千石たちを遠巻きに囲みながらその数を増やしていった。 さらに奥に進むと、少し開けた土地に数軒の小屋が建っているのが目に入った。 小屋の前には金色の髪をした背の高い男が数人立っていた。 その中にいると比較的背の低い男が千石の前に歩み出る。 「ここはあなた方の来るところではありません。お引取りください」 どうやらこの男は日本語が分かるようだった。 「そうはいかねぇ。人を探してる。矢坂平四郎という男だ」 千石のその答えに、男は表情を全く変えなかった。 「我々はその人を知りません。  どうしても先に進むなら、力づくで通ってもらうことになります」 男は鋭い視線を千石に向けた。 「おもしれえ!」 千石はその男を片手で横に突き飛ばし、小屋に向かって歩みを進めた。 と、今まで遠巻きに千石たちを囲んでいた男達が姿を現し、 それぞれに刀を、いや、刀よりもはるかに細身の剣を構えた。 「千石さん、またぁ…。まずいですってば」 陣之介には、千石が「殿様」という言葉を聞いてから焦っているように思えた。 自分はまだ殿様と千石が一緒にいるところを見たことがないが、 千石にとって殿様という存在が特別なものであることは分かっていた。 「おい、お前らの大将はどいつだ!」 さすがにこの相手の数では時間がかかると思った千石は、大将狙いの短期決戦を考えた。 陣之介には相手がそれに答えるとは思えなかったが、 しばらくの沈黙の後、意外にも正面の大男があるひとりの人物を指差した。 それは千石が先ほど突き飛ばした男だった。 「なんだ、お主か」 千石は拍子抜けし、倒れていた男を引き起こした。 「すいません、私はサブリーダーです。日本語を喋れるのはこの中で私だけですので…。  リーダーは今、ここにはいません」 「『リーダー』ってのは大将のことだな。それは矢坂平四郎じゃないんだな」 「違います」 千石と男の間には暫くの沈黙が流れた。 「…よし、いいだろう。もうすぐ日が暮れることだ。今日はここで帰ることにしよう。  もし矢坂平四郎という男に会うことがあったら、千石が探してたと伝えてくれ」 剣を構えた男達の間を悠々と引き返していく千石と陣之介の姿を 小屋の窓から覗くひとつの影があった。 それは昨夜、陣之介と剣を交えた少女だった。  その夜、漆黒の闇の中、江戸の近海を灯りも付けずに航海している一隻の船があった。 「三河屋が特務奉行にやられたらしいな。  奴は派手にやり過ぎた。ククク、これで奴の利権は全て俺のものだ」 船に乗っていたのは三河屋と同じ江戸の商人である大黒屋清兵衛であった。 「清兵衛様、正体不明の船が一隻、こちらに近づいてきます!」 突然、望遠レンズで見張りに立っていた男が清兵衛に告げた。 「何、幕府の船か?くっ、鷲尾様が押さえててくれるのではなかったのか?!」 「いえ、あれは…メリケンの革命軍の船です!」 「馬鹿者、革命軍など奴らが勝手に名乗ってるだけのこと。ただの盗賊部隊だ!  くそ、仕方が無い。メリケンで仕入れた銃器を持って来い。総員戦闘配置に付け!」 清兵衛のその声に、船員達は船倉から銃器を持ち出し、船に向けて一列に並んだ。 が、その船は一定の距離を保ったまま、大黒屋の船に近づこうとはしなかった。 しばらくの膠着状態が生じた。 「…まさか?!  半数は船の周りを調べろ!奴ら、闇にまぎれてどこからか上ってくるつもりかもしれん」 この清兵衛の読みは当たっていた。 船の縁から下を覗き込んだ一人の船員が、「グッ!」という声と共に海に落ちた。 「何事だ!」 清兵衛達が後ろを振り返ると、 船の縁から姿を現した着流し姿の浪人の影がひとつ見えた。 と、浪人の手元が光ったかと思うと、銃器を構えていた男が次々と倒れていった。 「な、撃て!撃て!」 清兵衛が慌てて指示を出すが、月が隠れてしまって闇が支配する現状では 船員達の影に隠れて素早く走り回る浪人には当たらず、同士討ちを招く結果となった。 一方の浪人は、銃の出す音を頼りに次々と棒手裏剣を命中させていく。 鉄砲隊が次の弾を込める隙に隊の真ん中に飛び込んだ浪人は、 長い刀を引き抜いて次々と鉄砲隊を斬っていった。 「灯りだ。灯りを付けろ!」 清兵衛の指示でようやく灯りを付けたときには、鉄砲隊はほぼ全滅していた。 「き、貴様は…この国に戻ってきていたのか!」 灯りに照らし出された長身の浪人の横顔に、清兵衛の顔が凍りつく。 その凍りついた顔のまま、清兵衛は強烈な峰打ちを食らって倒れた。 「ふぅー」 一息ついた浪人は懐から数枚の懐紙を取り出し、血糊が付いた刀を拭くと そのまま空に放り投げた。 懐紙は灯りに照らされ、季節外れの雪のようにはらはらと舞い落ちていった。 第三幕に続く


MAIL  HOME  BACK


(C)Copyright 2001 うえすとえんど