殿様千石たこ道中小説


オリジナル小説<三匹の狼>


第五話「始まりの刻 将軍様と 黒い奴」

 時は享保十三年、徳川吉宗の時代。 元服を終えた緒方恭史郎は、松江藩十八万六千石の家老高杉主水の警護役として江戸に来ていた。 恭史郎は緒方家千石の次男坊として生まれ、喧嘩や女遊びに明け暮れる日々を過ごしていたが、 兄の恭一郎が急死したために急遽緒方家の跡取りとなった。 江戸に来て数ヶ月が過ぎたある夏の夜、恭史郎達は松江藩江戸屋敷の評定の間に集められていた。 「最近各藩の江戸屋敷が何者かによって襲撃されていると聞く。  各々、決して注意を怠ることのないように」 家老の高杉主水が淡々と話を進めていく中、恭史郎は次第に眠りの淵に沈み込んでいった。 「おい、恭史郎、そろそろ終わるぞ。起きろ」 横に座っていた男が恭史郎を肘で突ついた。 男の名は新九郎、家老高杉の嫡男で恭史郎の無二の親友である。 「あ〜、もうそんな時間か。新九郎、今日の飯は何だ?」 「ったく、何を寝ぼけてやがる」 間もなく評定が終わり、恭史郎は屋敷の入口近くにある大部屋に戻った。 しばらくして新九郎もやってきて、大部屋の角で寝転がっている恭史郎の横に腰を下ろした。 「御家老様の嫡男がこんな所に何の用だ」 「お前にちょっと聞きたいことがあってな」 新九郎はいつになく真剣な面持ちで、他の者に聞こえないような声で喋りだした。 「じつは、父上のことなんだが、最近ご様子が変なのだ。お前、何か知らぬか?」 「あ〜、最近な、葛西殿と一緒によく小料理屋に行かれるんだ。  でもな、俺に聞いても無駄だぜ。俺はいつも入口で見張り番。会話も聞こえねえよ。  俺もいつかは毎日のように江戸の高級料理を食いてえよ。それがどうかしたか?」 恭史郎はそれのどこが変なのか分からないというふうに新九郎の顔を覗き込んだ。 「あ、いや、それならいいんだ。話を換えよう。  お前、国元に残してきた奥方に子供ができたそうだな」 新九郎がそこまで言うと、恭史郎はくるりと新九郎に背を向けて布団を被ってしまった。 「知るかっ、あんな女。  跡取りと決まってからも遊び回ってた俺に父上が無理矢理くっつけた女だ。  あいつの子供なんか見たくもねぇ…」 布団の中でぶつぶつと言っている恭史郎だったが、 長い付き合いの新九郎には照れているのが丸分かりだった。 「はいはい。早く名前決めてやれよ、おやじ殿っ」 新九郎は必死で笑いをこらえながらその場を立ち去ろうとした。 と、そのとき屋敷じゅうに家老高杉の声が響いた。 「くせ者じゃ、皆の者、出逢え!出逢え!」 一瞬にしてその場に緊張が走る。 恭史郎と新九郎は傍らに置いてあった刀を手に取り、中庭に飛び出した。 すぐに他の者達も飛び出し、中庭は屋敷じゅうの人間で溢れ返った。 「こやつ、上様の名を語るくせ者じゃ、斬れ!切り捨てい!」 高杉が指さした先、ひとりの武士とふたりの黒装束の男女が立っていた。 「おい、恭史郎、どう思う。上様がたった3人でこんな所に来ると思うか?」 新九郎は横にいた恭史郎に小声で話しかけた。 「いや。おそらくは偽物。しかし、あの男、ただものではない」 このとき恭史郎は江戸でも評判の剣の腕だったが、 なぜかどう足掻いてもこの男にはかなわない気がした。 考える暇もなく、その場は一瞬にして戦場と化した。 男に斬りかかっていった者達が次々と倒れていく。 恭史郎はその剣先を目で捕らえるのが精一杯だった。 「こ、この3人、半端じゃなく強え」 家老の警護という役目上、恭史郎はずるずると後退していかざるを得なかった。 「恭史郎、父上を頼んだぞ」 「待てっ、新九郎!」 屋敷にいた三分の二以上の人間が倒れた頃、新九郎が飛び出した。 黒装束の男に真っ直ぐに向かっていき、 その他大勢と同じように肩から一刀のもとに斬り捨てられた。 「新九郎ォォォォォ!!!」 狂ったように叫んだ恭史郎もまた、黒装束の男に突っ込んでいった。 恭史郎はその後、自分でも何が起こったのか覚えていなかった。 最初の一太刀を男にかわされ、男の小太刀による横払いを避けたつもりだった。 だが、その横払いは恭史郎の胸を深く切り裂いた。 「ば、ばかな!」 恭史郎は必死に目を開こうとしたが、身体がいうことを利かなかった。 静寂。 深い闇。 その中を墜ちていく自分。 どれぐらい経っただろうか、恭史郎は胸に熱いものを感じて目を覚ました。 「俺は、生きてるのか…」 胸に手をやると真っ赤な血が手を染めた。 かわしきれなかったものの、 恭史郎の本能的な反射神経は刃が心臓に届くのを防いだのである。 辺りに目をやると、町奉行の配下の者達が松明で辺りを照らし、 松江藩の人間の生死を確かめていた。 どうやら峰打ちを食らっただけの者は気を失っているだけのようである。 だが、恭史郎の視線の先には家老高杉とその側近葛西が変わり果てた姿をさらしていた。 そして自分の傍らには…。 「俺は、守れなかったのか、誰も」 恭史郎は、ほんの数刻前まで笑顔で会話を交わしていた男達の死を 受け入れることができなかった。 「何なんだ、これは…一体、何なんだよ…」 身体を起こした恭史郎の姿を捕らえた町方の二人が恭史郎を両側から押さえつけた。 「待て」 と、裏口のほうから低音の重みのある声が響いた。 恭史郎がうつろな視線をそちらに向けると、町方の指導者らしき人物が立っていた。 「私は南町奉行、大岡越前である。お主、緒方恭史郎だな。  お主の忠義心と剣の腕は聞いたことがある。お主は今回の一件に関わっていたのか?」 「大岡様…あの男が上様だというのは本当なのですか?」 恭史郎は質問に答えず、逆に問い返した。 ふたりは暫くの間、無言で視線を交わした。 「本当だ」 恭史郎の目を見たまま、低く、だがはっきりとした声で越前は答えた。 その瞬間、恭史郎の心の奧にあった何かが音を立てて崩れた。 「お、お、おおおぉあぁぁあぁあ!!!」 恭史郎は自分を押さえていた男の手を振り払うと、その腰に提げていた刀を引き抜いた。 「おい、何をする?!」 ヒュッ。 次の瞬間、恭史郎を押さえていた男達は首から血を吹き出して倒れた。 先ほど黒装束の男に斬りかかっていったときには、 三人の侵入者達の絶対的な強さに対する恐怖、目の前で親友を殺されたことによる衝撃、 自分が将軍を敵に回すかもしれない戸惑いなどによって錯乱していた恭史郎だったが、 今や冷徹に人を斬る殺人兵器と化していた。 「おお岡ぁあ!!」 恭史郎は一直線に大岡越前に向かって走り出した。 「お奉行!」 町方がそれに気付くも、止めに入った者はすべて一太刀で命を失った。 「うがぁああぁぁ!!!!」 ガキッ! 振り下ろされた刃を、大岡越前は素早く刀を盾にして防いだ。 ズザザザザザザッ あまりにも強い剣圧で数歩後退した越前は、素早く次の構えを取った。 だが、恭史郎のほうも無事ではなかった。先ほどの傷口が開き、鮮血が吹き出した。 「おのれぇえ!!覚えておれ、幕府の人間どもぉ、一人残らす俺が斬るっ!!」 恭史郎はそう言い残すと、越前が立っていた裏口から闇の中に消えていった。 「待てっ!」 そう言って左手を伸ばした越前の着物の袖に斜めにすーっと線が入り、ぱさっとふたつに切れた。  「ぐがあっ!!」 真っ黒なぼろぼろの着物に身を包んだ緒方恭史郎は山の中で目を覚ました。 「くそっ、またあの時の夢かっ!」 恭史郎は目に掛かっていた前髪を掻き上げた。十八年間、ずっと見続けている夢である。 身体にはねっとりとした汗がまとわりついていた。 辺り一面深い緑で被われているため薄暗いが、どうやら時刻は昼をまわっているようである。 「あの野郎、まだ動き出さねぇのか」 あの野郎とは、恭史郎のはるか前方でこちらの様子を窺っているであろう 御庭番か隠密のことである。 「今回のは今までの奴らとは違うようだな」 恭史郎はニイッと笑みを浮かべた。    はるか前方で恭史郎の動きを追っていたのは、メリケン出身の御庭番のジンライであった。 今まで恭史郎の不意を付いて返り討ちにあった追っ手の隠密達のことを 教訓として知っているため、ジンライは三日前に要請した援軍の到着を待っていた。 通常は考えられないことだが、自分の存在はすでに恭史郎に悟られていた。 「これじゃあ、どっちが監視してるか分かったもんじゃないですネ」 ジンライは腰に提げていた保存用の木の実を口に含んだ。 もし自分の存在に気付いた恭史郎が向かってきても逃げおおせる自信がジンライにはあった。 だが、予想に反して恭史郎は自分と逆の方向に走りだした。 「あ、ちょっと待ってくださいヨ」 ジンライはその姿を見失わないように慎重に後を追った。 一瞬視界から外れたが、またすぐに木々の隙間から視界に捕らえることができた。 「とっと、また止まるんですカ」 見つからないよう、地に身を伏せた。 「あれ?何か変ですネ」 先ほどと何も変わらない、黒い着物に身を包んだ緒方恭史郎の姿がそこにはある。 だが、妙な違和感を覚えたジンライは身を伏せたまま慎重に前に進んだ。 「なっ?!」 その目に飛び込んできたのは、恭史郎の黒い着物の中で胸に脇差しが突き刺さって 変わり果てた姿となった男、援軍に来るはずだった御庭番のひとりであった。 体中から汗が噴き出し、とっさに辺りに目をやる。 山は恐ろしいほどの静寂を保っていた。 必死に気配を殺していたが、死を恐れていないはずの身体の中には恐怖が広がっていった。 どこだ…? ジンライの目の前にはらりと一枚の葉が落ちてきた。 はっと上を見上げるジンライ。 その視線のすぐ先にはニイッと笑みを浮かべた褌一枚の恭史郎の姿があった。  バキッ! 「あ〜、もう。ここも既にもぬけの殻やないか」 「まあそう怒るなよ。この火の跡を見てみろ。敵さんは近いで」 扉を蹴破った夜叉丸より一歩遅れて山小屋の中に入ってきた鉄馬は、 真っ先に焚き火の跡に目をやった。 豊橋藩に入った鉄馬と夜叉丸は付近の炭坑夫を皆殺しにしたという山賊の討伐隊に加わっていた。 討伐隊は浪人を中心とした有志によって構成され、指揮は代官与力の山岡夢之進が取っていた。 「よし、今日はこの山小屋に留まる。明日はおそらく山賊共との決戦になるだろう。  皆の者、疲れをきっちりと取っておくように」 夢之進の指示で、討伐隊の面々は思い思いの場所に身体を横たえた。 「何?ここまで奴らを追いつめといて休むやと?!」 夜叉丸は鉄馬にしか聞こえないように不満を口にした。 「いや、夢之進殿の判断は正しい。相手は山賊、ここら辺の地理には詳しいはずや。  もしこのまま歩いて夜になれば奴らの思うつぼ、こちらが全滅する危険性もある」 鉄馬の話を感心して聞いていた夜叉丸だったが、日が明るいうちから休む気にはなれなかった。 「うー、早く思いっきり暴れたいっちゅうねん!」 二日間もひたすら山の中を歩いている夜叉丸はもう我慢の限界だった。


第六話「山道の死闘! 悪魔のわなと 長屋王」

 『それでは私に隠密になれとおっしゃるのですか?』 『うむ。緒方恭史郎の行方を追ってほしい』 『本当に恭史郎はその事件に関わっていたのですか?』 『わからぬ。しかし、事前の調査では  屋敷にいた全ての人間が関わっていたということになっている』 『それでは恭史郎は誰かにハメられたのでは?』 『そこまでは分からぬ。しかし、あの男が幕府に対して恨みを抱いているのは事実。  越前殿でも全く歯が立たないとなると、この江戸でもまともに勝負できるのは  上様を含めてわずか。しかし今、上様にこの江戸を離れられては困るのじゃ。  各地の藩主や家老は今でこそ上様の権威を恐れて何もしておらぬが、上様が将軍職を  退かた後には、ひそかに蓄積していた財力による賄賂政治が横行してしまうじゃろう。  そうならぬよう、今のうちに少しでも手を打っておかねばならん。  ゆえに今回の緒方恭史郎のことは上様のお耳に入れておらぬ』 『…』 『あの男の凶行を止められるのは、刀の恭史郎、槍の虎之介と並び賞されたお主しか  おらぬのじゃ。頼む』 『た、田之倉様、頭をお上げください。分かりました。私ができるだけのことは致します。  京の父上には田之倉様からうまく取りはからっておいてください』 『すまぬ。頼んだぞ…』 『ええ…』  「ふう…」 村外れの川に釣り糸を垂れていた黒虎は大きくひとつため息を付いた。 「ったく、本当にこの川に魚なんているのか?」 朝から一匹の魚も掛からないことに苛立った黒虎は川面を覗き込んだ。 鉄馬達が鉱山の山麓にあるこの村にたどり着いたのは3日前。 その時この村は、炭坑夫として働きに出ていた村の男達が山賊によって皆殺しにされたという 知らせが入った直後で、騒然としていた。 浪人を中心とした有志によって結成された討伐隊が山に入るということを聞いた鉄馬達は 自分達も参加することを決意する。 そこで、混乱した村にお雪をひとり残していけないということで 黒虎が残る羽目になったのである。 「はあ、なんか変わったことねえかなぁ」 その黒虎の期待に応えるように、川の向こう側からお雪が息を切らせて走ってくるのが見えた。 「おっ。お雪、どうした?山賊でも出たか?!」 黒虎は冗談とも本気とも取れない発言をした。 「違うわよ。おとっつあん、大変なの。大造じいさんが…」 「大造じいさんってあの人だろ、この村にいつの間にか住み着いてるっていう  …あのじいさん」 隠密としての習性か、情報収集は早い。 「そうなの。その大造じいさんが、炭坑夫の仇を取るんだって、  村人が止めるのも聞かないのよ」 「べつにいいんじゃねえか。村人の噂では、あのじいさん昔は侍で、『長屋王』って呼ばれて  めちゃくちゃ強かったっていうじゃねえか」 「それがね、『長屋王』って、昔住んでた長屋で一番強かったってことらしいのよ」 「…そりゃまた、随分狭い範囲の最強だな」 「それにね…方向音痴らしいのよ」 「はあ?」 黒虎は露骨に面倒くさそうな顔をした。  その翌日、山岡夢之進の率いる討伐隊は、藩をぐるっと囲む形で連なっている山の中を 進軍していた。 山道は整備されているとはいえ、隊は自然と長くならざるを得なかった。 「兄貴、まだかなあ?」 早く暴れたくて先頭付近を歩いている夜叉丸は、先ほどからずっと同じ質問を鉄馬にぶつけていた。 「俺に聞くな。ったくお前は元気やなあ」 鉄馬は疲れ気味であった。といっても山道にではなく、3日も横にいる夜叉丸にである。 と、遙か前方に十人ほどの人影が見えた。 「おや?あれは代官所の鉄砲隊。どうやら援軍に来られたようだ。全軍、一端ここで止まれ」 夢之進から先鋒の指揮を任された吉岡という男が、隊の進軍を止めて前方に走っていった。 と、そのとき誰もが予想しなかったことが起こった。 バババババ… と、吉岡に向けて代官所の鉄砲隊が一斉に発砲したのである。 「なんやと?」 ババババババババババ… 鉄馬達は何が起こったのかを考える暇もなく、今度は自分達に鉄砲が発射された。 「さがれ、さがれ」 先頭にいた何人かが銃弾に倒れ、鉄馬達はさがろうとするものの、 後方の部隊は何が起こっているのか把握できず、思うように後退できなかった。 「山岡殿、軍をお引き下され!代官所の鉄砲隊が我らを攻撃しております」 誰かが現在の状況を夢之進に伝えた。 「な、なんだと?!」 驚いた夢之進は、部下の制止を振り切って前に出ようとした。 「危ない!」 夜叉丸がとっさに夢之進の前に飛び出た。 バババババ… と、その背中に数発の銃弾が撃ち込まれる。 「ぐっ!」 夜叉丸は低い声を上げて前に崩れ落ちた。 「夜叉丸!」 鉄馬が駆け寄ると、夜叉丸は微かに笑みを見せた。 「へっ、足手まといは御免や。兄貴、生きろよ!」 夜叉丸は鉄馬の腕を物凄い力で振り払うと、右の斜面に飛び込み、そのまま転がり落ちていった。 「夜叉丸ーーっ!!」 「ぐぬっ。仕方ない、全軍後退だ!!」 夢之進の後退命令に、鉄馬も唇を噛みしめながら従った。  「夢之進殿。今回のこと、心当たりはお有りなのですか?」 半刻ほど無言で走り続けた後、鉄馬は走りながら夢之進に訊ねた。 「…俺は、代官所で炭鉱のことを調べていた。  数日前のことになるが、俺はその中で三年前に極わずかながら金が採掘されたという情報を掴んだ。  しかし、そのことは幕府にはひとことも報告されていなかったのだ。  担当者の着服の恐れがあるため、俺はひそかに代官にだけこのことを報告した。  それがまさか、代官まで関わっていたとは…。お前達には本当にすまないことをした」 「夢之進殿、これはもう夢之進殿だけの問題ではありません。  夜叉丸や殺された仲間達の仇を討つため、俺も共に闘います」 「俺もだ!」 「そうだ、殺された仲間の無念、なんとしてでも晴らしてやる!」 討伐隊に参加した浪人達は、後退しながらも口々に決意を唱えた。 と、そのとき討伐隊の逃げる前方にも鉄砲隊の一団が姿を現した。 「ぐっ、挟み撃ちか?!」 このままでは、後ろから追ってくる鉄砲隊と挟み撃ちになり、蜂の巣になることは目にみえていた。 「くそっ、こうなれば強行突破だ!」 夢之進は刀を抜いて玉砕覚悟の突破をはかろうとしたが、鉄砲隊の間にある男を発見した。 「お前は、代官、桜井玄藩!」 「ふふふ、与力の山岡君、ご苦労だったねえ。  君たちにはここで炭坑夫殺しの山賊一味として死んでもらうよ」 青白い顔をした代官、桜井玄藩は陰気な笑みを浮かべた。 「まさか、山賊に見せかけて炭坑夫を殺したのも貴様か?!」 「そうだよ。金のことを知ってる彼らはもともと口封じに殺すつもりだったけどね。  きみも余計なことを調べなければ死なずに済んだものを。  まあこれで、金の横領も、炭坑夫殺しも、全部きみの仕業ってことにできるけどね」 「おのれー!!」 夢之進が鉄砲隊に斬り込もうとしたそのとき、何かが鉄砲隊の背後にドサッと落ちてきた。 ビクッとして振り返る鉄砲隊。夢之進も動きを止めた。 「いてててて…」 それは見知らぬ老人だった。 「おい、大造じいさん、大丈夫か?」 「ああ、なんとかな」 続いて黒虎が斜面をすべり降りてきた。 「あいつらも殺せ!」 しばらくあっけに取られていた代官だったが、黒虎達も攻撃目標に加えることにした。 鉄砲隊のうち数人が振り返って銃を構え直す。 が、それより早く黒虎は懐から数本の棒手裏剣を取りだした。 棒手裏剣は振り返った男達を的確に射抜いた。 「ええい、早く殺さないか!」 その声に先程より多くの男が振り返ったが、黒虎は素早く鉄砲隊のなかに飛び込んだ。 「な?」 鉄砲隊が刀を抜くより早く、黒虎は次々と男達を殴り飛ばしていった。 「今だ!」 小太刀『大和』を抜いた鉄馬を先頭に、浪人達も一斉に鉄砲隊に斬り込んでいった。 挟み撃ちにしようと追ってきた鉄砲隊もようやく追いついたが、 混戦の中では鉄砲は全く機能しなかった。 数では勝っていた代官所だったが、士気が下がった状態では 刀一本で生きてきた浪人達には全く歯が立たず、次々とその数を減らしていく。 「くそっ」 混戦のどさくさに紛れて、代官の桜井玄藩が逃げ出した。 「玄藩、待てっ!」 夢之進が追おうとするが、狭い山道の混戦で人に阻まれてなかなか前に進めない。 混戦の中から抜けだした玄藩との差は開く一方だった。 「待ちな」 と、それまで道の端で腰をさすっていた老人が玄藩を呼び止めた。 「なんだ貴様」 玄藩は気にも止めずに横を駆け抜けようとしたが、老人は懐から古びた脇差しを取りだした。 「貴様、武士か…」 謀略の失敗で気が立っていた玄藩にとって、この老人の行動は許せなかった。 「はい。麓の村に住み着いてる大造っていうもんですぁ。  こんな老人を家族のように世話してくれた村人の仇、討たせてもらおうと思いやして」 それまで温厚な顔つきだった大造じいさんの瞳がギラッと光った。 「ほざけ!お前などに何ができる」 大造じいさんに斬りかかった玄藩だったが、その刀はむなしく空を斬った。 「罪無き者達の仇!」 ゆっくりと脇差しから刃を抜いた大造じいさんは、玄藩の左胸を一突きにした。 「言い忘れたが、俺の又の名は長屋王って言うんだ。冥土の土産に覚えときな」 「な!な…が……」 その言葉は最後まで発せられることはなかった。 「ほう、じいさん、やるもんだねえ」 大方の鉄砲隊を片づけた黒虎は思わず感嘆の声を上げた。  「あなた方には何から何までお世話になりました」 翌日、旅立つ鉄馬達の見送りに出た夢之進は深々と頭を下げた。 「いいってことよ」 本来ならば反乱の罪に問われる夢之進だが、黒虎の隠密としての報告により、 その罪は一切免除、おまけに数日後には代官の後任として正式に任命されることになっていた。 「あーあ、今回は俺、結局山登りしただけで全然暴れられへんかったなあ」 鉄馬の横には、包帯をぐるぐる巻きにされた夜叉丸の姿があった。 「ったく、お前は不死身か」 いつも通りのツッコミをする鉄馬だったが、その顔には自然と笑みがこぼれていた。 「しっかし、あの謎のじいさん、長屋王とか言ったっけ?  黒もそうやけど、あの歳で元気やよなあ」 「おいおい、俺とあの方向音痴のじいさんを一緒にするんじゃねえよ。俺はまだ33だぜぇ」 「え、そんなに若かったんか?…ほんなら、お雪は黒が15の時の子供か?」 「あ、いや、そうじゃねえよ」 「ほら、やっぱり誤魔化してるやないか。それともお雪のほうが誤魔化してるんか?」 「え?」 突然自分に振られた話に、お雪が驚きの声をあげた。 「ちょ、ちょっと、違うわよ。私はちゃんと18よ。ねっ」 「そうだとも。ま、いいじゃねえか。人生いろいろと間違いはあるんだし」 その黒虎の発言に、3人が一斉に黒虎のほうを振り向いた。 「え、何だよお前ら?」 黒虎はその後、一体何が「間違い」だったのかを次の宿場まで延々と追求されるのだった。 第七話に続く


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