殿様千石たこ道中小説


三匹が斬る!外伝 第九幕


 重罪を犯した咎人が数多く流されてくる「流人の島」として有名な八丈島。 その裏手に、割と広い入り江があった。 海岸沿いに大きな岩がゴロゴロと転がっており、 その奥には長年の波の侵食と隆起によって形成された雑草地帯が広がっていた。 今ここで、日本を混乱に陥れて利益を得ようとするメリケン国の闇組織と、 その混乱に乗じて実権を握ろうとする日本人による取引が行われていた。 メリケン国側の代表は、武器商人ハルスとその配下40余人。 日本側の代表は、八丈島奉行の宗像大膳とその配下、 及び宗像が自らの手駒として使うために牢から出した重罪人、併せて30余人。 そして、鷲尾主膳によって雇われた殺し屋集団、幻狼とその配下の影部隊10余人であった。 奥の林に潜ませてある鉄砲隊と、 海上の船に待機させている船員のそれぞれ10余人も併せると、総勢100人を越えていた。 「それでは鷲尾様にもよろしくお伝えください」 あらかじめ取り決めておいた手続きに従い、 通訳を間に挟んだ阿片と武器の取引はすぐに終了した。 「ハルス殿、お帰りは十分お気をつけ下され。  我々の取引を邪魔する連中が居りますゆえ」 「ああ、宗像様、そのことなら気にすることはありません。  その連中なら、ここに来る前に壊滅させましたので」 通訳によって訳されたハルスの言葉を聞いた宗像大膳は目を丸くした。 「ほう、それは素晴らしい。さすがはハルス殿だ。ははっはははは!」 宗像とハルスは声を上げて笑った。 その時、見張りのために待機させていた鉄砲隊から「ドーン!」という空砲が上がった。 「何事だ!」 「ああ、先程、鼠を数匹取り逃がしておりましてね。逃がした鼠が戻ってきたようです」 ハルスがあきれたような笑いを浮かべながら目を凝らすと、 一艘の小船がこちらに向かって疾走してくるのが見えた。 船首には平四郎が座り、革命軍の若者が左右に分かれて全員で船を漕いでいた。 「さて、いただいた武器の威力を早速試させていただこうとするかな」 宗像大膳は後方に積まれた木箱を眺めてニタリと笑った。 その時、それまで後方に控えていた幻狼が前に進み出た。 「お待ちくだされ。この武器は鷲尾殿から全て持ち帰るようにと言われているもの。  勝手は許されませぬぞ」 幻狼の言葉に、宗像は「ググッ」と呻いて唇を噛んだ。 「それよりも、お二方に面白い余興をご覧に入れましょうぞ」 幻狼は「クククク」と、身体の芯が凍りつくような低い笑い声を上げた。  しばらく後、平四郎達は何事もなく船を岸に泊めることができた。 ゴツゴツした岩の上を歩いて雑草地帯に降り立った平四郎達は、ハルス達と対峙した。 革命軍の生き残りはリューズとバロックを含めてわずか9人。 勝機はほぼ無いに等しかった。 「…千石、やはり俺も最後は浪人だったようだ」 平四郎はリューズ達を制すると、ただひとり前に進み出た。 「さて、面白い余興の始まりだ」 幻狼が「チリン」と鈴の音を鳴らすと、敵陣からひとりの男が進み出た。 「千石…!」 うつろな眼で自分に視線を向ける千石の姿を目にした瞬間、平四郎は驚愕の表情を浮かべた。 「何だ…、貴様ら、知り合いだったのか」 これには幻狼も意外そうな顔をしたが、すぐにまた笑みを浮かべた。 「矢坂平四郎、貴様にこの男を斬ることができるかな?」 幻狼の小馬鹿にしたような問いかけに、平四郎は鋭い眼光で応えた。 その時、これまでのやりとりを興味深そうに聞いていたハルスが笑い声を上げた。 「ふははは、これは面白い。人操術の効果をこの目で確かめる絶好の機会だ。  ところで幻狼殿、この男は相手を殺す気で向かっていくのでしょうな」 ハルスはうつろな目をした千石を指差した。 「いかにも」 「ならば、あの男にも少しハンデをやる必要があるな」 ハルスは、パンパンと手を打ち鳴らした。 すると、横に控えていた配下の者達が左右に別れ、 その後方からハルスの配下によって首筋に刃物を当てられた小春が姿を現した。 「父上…」 フラフラと歩み出た小春の着物には所々血が滲んでおり、 その口調は別人のように弱々しかった。 「小春!」 その姿を見た平四郎は憤怒の形相を浮かべた。 「そうだ、黄金の国の悪魔よ。お前が目の前の男を斬らなければ、娘が死ぬことになる」 ハルスはこの状況を心底楽しんでいるようだった。 「そんなことをせずとも、俺は千石相手に手加減などするつもりはない」 平四郎は高ぶる気持ちを抑えつつ、目の前の千石に向き直った。 「来い」 静かに抜刀した平四郎は、刀を正眼に構えた。 ジャッ! 千石が抜刀しながら地を蹴った。 鋭い振り下ろしが平四郎の身体の中心に向けて放たれる。 それを平四郎は避けずに正面で受け止めた。 ギンッ!という刃を交える音が響いた。 呼吸を置くことなく、千石の鋭い胴払いが平四郎を襲う。 それもまた平四郎が受け止めると、再びギンッ!という鈍い音が響いた。 そこで千石は一歩後退し、間合いを取り直した。 その時平四郎は初めて、千石の太刀筋が先日対峙した時と寸分違わないことに気づく。 「…」 平四郎はあえて、危険な賭けにでることを決意した。 自らも千石と同様に、先日の対戦と全く同じ太刀筋をとることにしたのである。 もちろん、殺気や剣速を緩めるつもりは全くない。 平四郎の鋭い突きが千石を襲う。 千石は素早くそれを払ったが、 続けざまに平四郎の長い刀が弧を描き、千石の右肩に向けて袈裟懸けに振り下ろされた。 千石がそれを払おうと刀を振り上げたとき、平四郎の刀がヒュッと軌道を変える。 その瞬間、千石の眼がギラリと輝き、そのまま突きに転じた。 千石の捨て身の突きを平四郎は避け切ることができず、ふたりは重なり合って倒れた。 一瞬の静寂の後、立ち上がったのは千石であった。 刀に付いた血を拭こうともせず、うつろな瞳のままで自陣に引き上げてくる。 「おい、死体を確かめてこい」 宗像の命により、配下の者数人が駆け出した。  男達が倒れている平四郎の元にたどり着いたその時、 ドドーーーーーーン!! という轟音と共に、 ハルス達の背後に積まれている武器や阿片の入った木箱が一斉に爆発し、火柱を上げた。 傍にいた男達数人が爆風で宙に舞う。 「な、何事だ!」 宗像の叫び声と共に、全員が後方の林を振り返った。 次の瞬間、千石の瞳がカッと見開かれたかと思うと、 小春の首に刃を突きつけていた男を一刀の元に斬り捨て、横に蹴り飛ばした。 支えを失ってグラッと前に倒れる小春を、千石は左腕で抱えた。 それとほぼ同時、平四郎が突然起き上がると、自分に向けて刀を構えている男達数人を 瞬き一瞬の間に全て葬っていた。 「き、貴様らあ!」 宗像やハルスの配下が千石を取り囲もうとしたその時、 後方の林からひとつの影が飛び出し、ハルス達の頭上を飛び越えて千石の前に着地した。 「燕陣内、参上!」 その影、陣内は短筒を構えて威嚇すると、小春を抱えた千石と共に後退した。 「久慈慎之介、正気を取り戻していたのか」 幻狼が奥歯をギリッと鳴らしながら呻く。 「千石の着物の臭いは半端じゃないからね。あんな香りぐらいじゃ相手にならないよ」 無言のままの千石に代わり、陣内が笑いながら答えた。 「殿様、大丈夫か?」 平四郎の元まで後退した千石が平四郎に尋ねた。 先程の一戦の中、平四郎は脇腹に傷を負っていたのである。 「俺は大丈夫だ。それより千石、なかなか迫真の演技だったぞ」 平四郎が満足そうな笑みを浮かべる。 「…あの時はまだ、完全に正気を取り戻していたわけではない。  最後の一太刀、正気を失ったままなら斬られていたのは俺のほうだった」 千石も笑みを返し、ハルス達のほうを向き直った。 「おのれ…。鉄砲隊、早く出て来い!」 自分も巨額の利益を得るはずだった武器と阿片を全て失った宗像は 怒りで顔を真っ赤にして怒鳴った。 しかし、左右の林に潜ませて置いたはずの鉄砲隊からは反応がなかった。 しばらくの間が空いた後、ようやく数人の男が転がるように飛び出してきた。 「御奉行、助けてください!」 情けない声を上げる男達の背後から、左右それぞれ10人程の集団が姿を現した。 「特務奉行吉良右近、上様からの斬り捨て御免状を持って参上した!  歯向かう者は容赦なく斬る!!」 特務奉行配下の者達と共に軽装備に身を包んで参戦した右近は、胸の前で書面を広げた。 ズドーーーーーーン!! さらに続いて、岸に停泊していたハルスの船の一部が炎を上げた。 「今度は一体何だというのだ!」 続けざまに起こる事態に混乱してわけが分からなくなってきている宗像は 悲鳴に似た声を上げた。 全員が船に顔を向ける中、1枚の旗がスルスルと掲げられていった。 その旗には、白地に黒で大きく、「燕」と書かれていた。 「おっ、来た来た。どう殿様、あれ、いいでしょ。構想3日」 陣内が得意げに、他人のふりをする平四郎に自慢した。 「父上ーーー!!」 ハルスの船の上で無邪気な笑顔をみせているのは陣之介であった。 「父上、行きますよー」 陣之介は、紺色のふろしきに包まれた縦笛のようなものを船上から放り投げた。 「おっと」 それが陣内に届く瞬間、陣内は身体を前に屈め、背面で捕った。 「おお、すげえな」 千石がその横で感嘆する。 「おっ、これは」 ふろしき包みを解いた陣内の目に飛び込んできたのは、見覚えのある1本の筒であった。 「ありがとう、陣之介ー」 緊迫した戦場に不釣合いな親子は笑顔で手を振り合った。 「さあ、これで一気に形勢逆転だ。殿様、久しぶりにいつものヤツ頼んだぞ!」 千石は抱えていた小春をリューズに託し、平四郎の左隣の「定位置」に進み出た。 「いよ、待ってました。殿様、日本一!」 同じく、弾切れになっていた短筒を投げ捨てた陣内が平四郎の右隣に歩み出る。 「タコ、日本一は俺だ!」 「…もう、我が儘だな。じゃあ殿様、日本二!ってことで」 自分を挟んで緊張感のないやり取りを続けるふたりに、 平四郎は「コホン」とひとつ大きな咳払いをした。 「武器商人ハルス、武器や阿片によってメリケンやこの国の人々を苦しめ、  さらにはこの国に戦乱をもたらそうと企む悪行の数々、この矢坂平四郎、断じて許さん!!」 平四郎の鋭い眼光に、離れた位置にいる者達までもが本能的な恐怖を感じた。 「おい幻狼、よくも俺を操ってくれたな。  この久慈慎之介がぶった斬ってやるから、覚悟しやがれ!!」 続く千石の気迫は、その場の空気までが振動しかねないものであった。 「やい宗像大膳、島奉行のくせに悪事に加担するとはとんでもないヤツだな。  東海道一の槍使い、燕陣内様が相手だ!!」 陣内が筒を左右に振ると、筒の両端から鋭い刃が飛び出した。 今ここに、最終決戦の火蓋が切って落とされたのである。 第十話に続く


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