殿様千石たこ道中小説


三匹が斬る!外伝 第八幕


 東の空に僅かに太陽が顔を覗かせている朝靄の海を、一艘の商船が疾走していた。 「いました。ハルスの船です!」 見張りに立っていた若者が声を上げると、甲板はにわかに慌ただしくなった。 それまで掲げていた「越後屋」という旗を降ろし、船足を一気に減速させた。 「いよいよか」 壁にもたれて刀の手入れをしていた平四郎は腰を上げた。 「操舵と見張りに携わっている者以外は全員、甲板に集まってください!」 リューズの声に、十数人の男達が甲板に走り出てきた。 「これよりハルスの船に奇襲をかけます。奇襲部隊のメンバーは前回と同じ。  ただし今回は私も参加します。各自、準備を怠らないようにしてください!」 その言葉に革命軍の若者達が士気を高める中、小春だけが顔を曇らせた。 「リューズさん、私は今回も参加させていただけないのですか…?」 強い決意をもった瞳で訴えかける小春に一瞬の戸惑いを見せるリューズだったが、 すぐに笑顔になった。 「小春は私に代わって、この船を守ってください。私達が安心して戦えるように!」 「リューズさん…。嫌な予感がします。どうか気をつけて」 小春も精一杯の笑顔を作って返す。 「分かりました。殿様、そろそろ出発しましょう」 「うむ。奇襲は日が完全に昇る前に行ったほうがよいからな。小春、行ってくる」 平四郎とリューズを先頭に、奇襲部隊のメンバーは次々と 甲板に吊るされた数本のロープから小船に乗り込んでいった。  しばらくすると、革命軍の船に残った船員が一斉に空砲を鳴らした。 敵の注意をそちらに向けると共に、混乱させるのが目的である。 その混乱に乗じて平四郎たちが船尾から相手の船に斬り込む手筈であった。 しかし、ハルスの船に奇襲をかけた平四郎たちは意外な光景を目にする。 「誰も…おらぬのか?」 真っ先に船に乗り込んだ平四郎は、刀を構えたまま注意深く辺りを見回す。 続いて乗り込んできた者たちも、不気味なほどの静けさに恐れを感じた。 「私は操舵室を見てきます。殿様は甲板をお願いします。  残りの者は手分けして、誰かいないか船内をくまなく探してください」 革命軍の若者達はバラバラになり、探索を開始した。 「罠…?」 その言葉が平四郎の脳裏をかすめた時、 船内の探索を行っていた者たちが次々と飛び出してきた。 ある者は腕に、ある者は身体に、またある者は足に大きな傷を負っていた。 「どうした!」 「殿様、中にとんでもないヤツがいやがった!」 男が指差す先を覗き込もうとした殿様に向けて、先が三叉になった豪槍が伸びてきた。 「でぇい」 殿様は気合と共に刀で豪槍を弾くと、素早く後方に飛びのいた。 すると船の中から、豪槍を単なる普通の槍であるかのように片手で持った 全身が黒褐色の大男が姿を現した。 「お主、何者だ」 只ならぬ闘気を身にまとった大男に全身の神経を研ぎ澄ませながら、平四郎が尋ねた。 「…」 大男は何も答えず、ただ槍を頭上に構えた。 ブウン!! と、大気を切り裂くような一撃が平四郎に向けて放たれた。 まともに受け止めれば刀がもたないと判断した平四郎は、相手の力を利用して受け流した。 しかし、ただそれだけのことで両手にビリビリと衝撃が走る。 それでも怯まずに相手の間合いに飛び込もうとする平四郎だったが、 豪槍をいとも簡単にクルッと一回転させた大男の横薙ぎが間髪おかずに放たれた。 すでに相手の間合いに入ってしまっている平四郎は、それを受け止めるしか術はなかった。 槍を避けるように身体をしならせながら刀で受け止める平四郎だったが、 その衝撃で身体は船縁にまで飛ばされ、大きく叩きつけられた。 ベキッ!という鈍い音と共に、鉄と木を組み合わせてできている船縁の一部に亀裂が走る。 「グッ!」 平四郎は身体中を駆け巡る痛みを堪えながら、次の攻撃に備えて立ち上がった。 「殿様、大変だ!」 血相を変えて飛び出してくるリューズも平四郎の目には入っていなかった。 しかし、リューズが指差す先、小春たちを残してきた革命軍の船の上には 数本の黒煙が立ち昇っていた。 全身の神経を相手の指先の動きにまで集中させた平四郎は、 次の一撃が放たれるのと同時に、決死の覚悟で大男の懐に飛び込むことを決意した。 相手の間合いを封じるには、もはやそれしか方法がなかったのである。 平四郎がジリッと間合いを詰めた瞬間、 ダーン!という大気を震わせるような轟音が響いた。 その場にいたもの全てが一瞬、いったい何が起こったのかわからないでいたが、 次の瞬間、平四郎がガクッと膝から崩れ落ちた。 左の肩口から噴き出した真っ赤な血が平四郎の着物に滲んでいる。 「殿様!」 慌てて駆け寄ったリューズが平四郎と大男の間に割って入り、大男に向かって剣を構えた。 「はっはっは。黄金の国の悪魔ともあろう者が、この程度とはな」 革命軍の船から響いた高笑いに、奇襲部隊の若者達が一斉に目を遣った。 豪奢な緋色のマントに身を包んだ男が黒煙を上げる船の船首に片足を掛け、 平四郎に対して銃口を向けていた。 微かに立ち上っている硝煙から、彼が平四郎を狙撃したのだと推測できる。 「ドルバル、待て!」 緋色のマントの男ハルスが命じると、ドルバルと呼ばれた黒褐色の大男の動きが止まった。 「革命軍の諸君、初めまして。私があなた方の探しているハルスだ。  我々の歓迎は気に入ってくれたかな?」 口元に余裕の笑みを浮かべながら、ハルスが尋ねた。 「私たちがここに来るのを知っていたのですか」 憎むべき敵を目の前にして必死に怒りを押さえ込んだリューズが聞き返す。 「もちろんだ。もう20日ほど前になろうか。  夜陰に乗じて江戸に向かっていた大黒屋清兵衛の船を、貴様らは的確に襲撃した。  貴様らがスパイを送り込んでいると考えるのは当然のことであろう。  ましてや今回もまんまと我らの誘いに乗り、  馬鹿の一つ覚えのように奇襲攻撃を仕掛けてきた。  奇襲がお得意の革命軍も、敵の奇襲には弱かったというわけだな。はははははは!」 高らかに勝利を確信した笑い声を響かせるハルスを前に、 いつもは冷静なリューズが怒りで拳を震わせていた。 その時、平四郎がゆっくりと立ち上がり、リューズを片手で制した。 「ハルス、お主の目的はいったい何だ」 「武器商人の目的は武器のやりとりに決まってるだろう。  まあよい。冥土の土産に、私の日本における経営戦略を聞かせてやろう」 勝利を確信したハルスの口は軽やかだった。 「まずは阿片だ。  阿片の副作用は人から苦痛や疲労を取り除き、  己の肉体の限界を超えた最強の殺人兵器を作り出すことができる。  だが、代償としてその人間は廃人同然になってしまう。  そこでだ、廃人になっても構わない人間が大量に必要になるわけだ。  残念なことに、我々がメリケンで攫った人間はことごとくお前達が奪回していったがな」 ハルスはあきれたようなため息をついた。 「まあ、人間は日本にも腐るほどいる。お前達を皆殺しにあとで手に入れれば問題はない。  幸い、この国には人を自在に操ることのできる妖術が発達しているようだからな。  意のままに操ることのできる殺人兵器を各大名にばらまけば、  この国は再び戦乱の世に逆戻りだ。  そうなれば武器はいくらあっても困ることはない。  私もようやく本業に専念できるというもの。ふはははは…」 そのとき、高らかな笑い声を上げるハルスの背後から一筋の光が駆け抜け、 シュッ!という音と共に、素早く身を翻したハルスの緋色のマントが大きく切り裂かれた。 ハルスは自己陶酔に浸っていたが、背後に迫る殺気を逃さかった。 殺気の出所は、ハルスの護衛を斬り捨てた小春であった。 「貴様!」 間一髪で小春の剣を避けたハルスは、その鳩尾に銃の柄を叩き込む。 倒れた小春に対してさらに銃で殴りかかろうとするハルスに向けて 棒手裏剣を投げようと懐に手を伸ばした平四郎だったが、 ドルバルがそれを許さなかった。 「殿様、危ない!」 強烈な横薙ぎを剣で受け止めたリューズだったが、平四郎共々、船縁に再び叩きつけられた。 バキッバキバキ! ふたりが当たった衝撃で、船縁の一部は音を立てて完全に崩壊した。 吹き飛ばれた平四郎とリューズは宙に投げ出され、そのまま海へと落ちていった。  「小春ー!!」 平四郎が小船の上で飛び起きたとき、太陽は既に南の空高くにあった。 「殿様、気づかれましたか」 小船の上には、リューズのほか、見知った顔の革命軍の若者が7人ばかり乗っていた。 皆それぞれ身体のあちこちに傷を受け、一様に疲れ切った表情をしていた。 「すまない、まさか皆をおびき出すための罠だったとは」 船を漕いでいたのは、リューズがハルスの元に潜入させていたバロックという男だった。 彼がハルスの隙を見て小船を奪い、平四郎たちを助けたのである。 「これで私たちの勝機は万に一つもなくなってしまいました。  一旦引き返し、ラヴァールからの援軍を待ちましょう」 リューズは顔を伏せ、悔しそうに唇を噛んだ。 「いや…、俺は敵陣に斬り込むことにする」 平四郎の言葉に、皆一斉に顔を上げた。 「刀一本で…か。そうだな、千石」 平四郎は腰に差していた刀を鞘ごと抜くと、陽にかざした。 「無茶です。敵は少なくとも百名はいるはずです。  私達は…目的のための死は怖くはありません。しかし、犬死には無意味です!」 リューズは平四郎を思いとどまらせようと必死だった。 「勘違いするな。俺は死にに行くつもりはない。生きるために戦うのだ。  それに、ひとりではない。  今、俺と同じことを考えている大馬鹿者が少なくともあと2人はいるだろうからな。 そう言った平四郎の顔は、決戦を前にして不思議と穏やかだった。 「だが、残念ながら船はこの一艘しかない。すまぬが、八丈島まで乗せて行ってくれぬか?」 「殿様…。分かりました。私達も共に戦います。生きるために!」 リューズの言葉に、全員から「オー!!」という歓声が上がった。 第九幕に続く


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